認識を育てる作文教育
① なぜ、うれしかったこと、かなしかったこと(つまり感動)を書かせるのか
書くことがない、という子どもにとって感動的なできごとは思い出しやすいし、書きやすい。また、感動的なことのなかには、多くの場合、人間や事件の本質が典型的な形であらわれやすい。
しかし、感動中心の作文だけではなくて、毎日くりかえされる、日常的な生活も作文に書かせ、それが持つ意味というものを見つめさせたい。
② なぜ書くことをひとつにしぼって、そのことだけ書かせるのか
人間にとって、ものを見るにも、考えるにも、話すにも明確な観点をもってなすべきである。
③ なぜ、ありのまま(見たまま、聞いたまま、思ったとおり)に書かせるのか
なによりも、事実が一番大事
先入観や常識にとらわれ、こだわってものを見てはならない。
④なぜ、ある日、ある時のことを「-ました。 -ました。」と順を追って書かせるのか
自分の経験したことを時間の順序で思い出して書くことは、ものごとを認識し、表現する第一歩である。
④ なぜ、くわしく思い出して書かせるのか
私たちは、「様子や気もちを、もっとくわしく思い出して書きなさい」と要求します。
そこに、ものごとの真実があるからです。
⑤ なぜ、様子や気もち、わけの書き分けをさせるのか
まず<ようす>つまり事実をちゃんと見ること。そして、そのことについて何を思い、感じ、考えたかをはっきりさせる。さらにその事実の起きた原因や、なぜ、そのことについてそう思い考えたかの根拠(わけ)をはっきりさせることは大切なことである。
「おもしろかった」と気もちを書いただけでは「何が」「どのように」「なぜ」おもしろかったのか分からない。
書き手が自分自身にそのことをはっきりさせることが、書き手の認識と表現の力をつけることになる。
⑥ なぜ、構想メモをつくって書かせるのか
中学年になると、構想メモをもとに作文を書かせる指導をはじめる。
これは、ものごとを構造的に、関係的にみる見方を育てることになる。しかし、そのために、そつのない文章にはなっても、筆の勢いを失う場合があるので気をつけたい。
⑦ なぜ、ねうちのある題材について書かせるのか
教師としては<ねうちのある題材>で書いてくれたらと願うのは当然である。
しかし、題材そのものにねうちのあるものと、ねうちのないものはないと、思う。たとえどのような題材でも、その子にとっては大きな意味を持っていることがある。
自由に書きたいものを、書きたいように書かせることから出発したい。
⑧ なぜ、題をあたえて書かせるのか
自由選題と課題の一長一短を心得て、この両者を組み合わせて指導すべきである。